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何気ない日常に潜んでいるもの

怒濤の土日二日間が終了しました。

普段はいかに準備せずに臨むかを考えている私ですが、オンラインは準備が99.9%と考えていたので、鬼のような(?)準備をして臨みました。

そのおかげで、73名、87名という大人数の二日間とも大きなトラブルなく無事運営することができました。

もちろん一人で出来る訳もなく、前準備を含め多くの仲間たちの協力があってこそ。

そして、それは声を掛ければいつでも助けてくれるコミュニティがあればこそ、ですね。

普段から信頼できる仲間を作っておくことも、先日の自己基盤のテーマ「蓄える」にもつながるかなぁ。

信頼できる、頼れる仲間がいることは、普段の日常での安心感にすらつながりますからね。

ま、頼るのは苦手だけれども…(^_^;)。

何気ない日常に潜んでいるもの


さて、先日の気づきです。

ワークショップ終了後、運営、サポートのコーチ陣で振り返りミーティングを実施しました。

そこに一人の方が用事があって10分程度しか出られないとのことでした。

その際、私の頭の中に無意識、かつ無条件に浮かぶのは、

「だったら無理して参加してもらわなくてもいい」

でした。

その意味するところは、

「たった10分だけのために時間を使ってもらうのが申し訳ない」

です。

そして私は、そのままその人に伝えました。

でもその直後、真樹さん(近藤真樹コーチ)が、

「じゃ、〇〇さんには最初にコメントをもらおうよ!」

と言われました。

その瞬間私は、

「あちゃ、またやっちゃった!」

と思いました。

どういうことかわかりますか??

そこには、私的に二つの意味があります。

その一つは、ある意味自分が設定した時間であるだけに、

「“自分のために”忙しい人に時間を使わせるのは申し訳ない」

との自己卑下の気持ち。

そしてもう一つは、相手の視点から物事を見ることが出来ていないということ。

すなわち、相手の立場からすれば、一日やり切った充足感、高揚感をきっと皆と共有したいとの思いがあったはずです。

そこに思いを馳せることが出来なかったなぁと。

こんなふうに、自分の思考のクセとして当たり前に出てきてしまうもの、そして当たり前に思い至らないことが、何気ない場面で出てきます

そして多くの場面でそれはそのまま当たり前として流されていくでしょう。

それが悪い訳ではない。

もっと言えば、自分にとってどういう動機づけによる、どういう振る舞いであろうとも、それが相手にとって好都合なこともあれば、その逆もあるでしょう。

そして、それに対し相手がどう反応するかは相手の問題です。

いずれにしても、ひとたび自分の思考のクセに気づき、それが“自分にとって”書き直した方が良さそうなのであれば、その努力をしていく方がきっと生きやすくなります

私の場合で言えば、少なくとも“自己卑下しがちなクセ”は手放した方が絶対に良さそうです。

だいぶ手放してきたつもりだったけど、まだまだだなぁと思わされた出来事でした。

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