真に受ける私
「調和性」が上位の人が気づきにくい、ちょっとした損の話
人間ドックの予約をしようと、サイトを開きました。胃カメラは経口を希望していたのですが、こう書いてありました。
私はそれを読んで、そのまま12月の希望を出しました。
何の疑いもなく。
もう少し早く取れないかなとも、ダメ元で聞いてみようかなとも、一切思いませんでした。
すると、返ってきたメールにこうあったのです。
半年も早い。
あの「12月以降」は、ひとつの目安にすぎなかったのでしょう。でも私はそんなふうには読めなかった。書いてあることを、そのまま受け取ってしまう。
これ、思い当たることが他にもあります。
服を買いに行ったとき、気に入ったものに限ってサイズが合わない。で、「店頭在庫限り」と書いてあると、ああないんだなと思って、そのまま帰ってしまうのです。
「ひょっとして、在庫があったりしませんか」と聞いてみればいいんですよね。聞く人は普通に聞くのだと思います。でも私は聞かない。「店頭在庫限り」と書いてある。じゃあないんだな、と。そこで終わってしまうのです。
私の上位資質の一つに「調和性」があります。
「調和性」が上位にある人は、目の前の情報を疑うという感覚があまりない。疑わないから、「ひょっとしたら」に賭けない。賭けないから、可能性を確かめない。ただ、そういう性分なのです。
なんだか結構、損してきたのかもしれません。
とはいえ、この特性をなくすことはできないし、なくす必要もないと思っています。
ただ、知らないでいるのと、知っているのとでは全然違います。
今回、6月に予約が取れたのは病院がわざわざ教えてくれたおかげです。私が自覚して動いた結果ではありません。
ただ、返信メールを見て「ああ、またやったな」と思えたのは、自分が真に受けやすい人間だと知っていたからです。知らなければ「ラッキー」で終わっていたでしょう。
そして、この気づきが思わぬところで効きました。
6月に変更してもらおうとしたとき、最初はメールで連絡しようとしました。私は電話がどうも苦手で、メールのほうが楽なのです。いつもの自分なら、迷わずメールを選んでいたと思います。
でも、ふと立ち止まりました。自分はまた「いつもの当たり前」をそのまま受け入れようとしていないか。空きが少ないのであれば、メールを送って返事を待つ間に枠が埋まるかもしれない。電話のほうがいいのではないか。
これは「真に受ける自分」に気づいたことの延長だったと思います。自分の中の「当たり前」をそのまま受け入れてしまう傾向がある。それを知っていたから、メールという自分にとっての当たり前に対しても、一瞬だけ疑いを持てた。
結局、電話をかけました。いつもの自分なら絶対にしなかった選択です。
次にどこかで同じような場面が来たとき、また立ち止まれるかはわかりません。おそらく毎回は無理だと思います。でも、そのたまにの一回は、自覚がなければ絶対に来ない。
資質を知っていてよかったと思う瞬間は、
意外とこういう何気ない日常の中にあります。
