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「なんでそんなにこだわるの?」と感じたことはありますか

「なんでそんなにこだわるの?」と感じたことはありますか

職場で、あるいは家庭で、「この人はなんでいつもこうなんだろう」と感じた経験は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。

悪気はなさそうだし、仕事はきちんとしている。でも、どうしてそのやり方にこだわるのかがわからない。そんなちょっとした違和感が、日々の関係の中に静かに積もっていくことがあります。

先日、ストレングスファインダー資質ナビゲーション講座で規律性を扱いました。この講座では、成果の出し方、人との関わり方、判断の仕方という三つの観点から、それぞれの資質への理解を深めていきます。

その中で、私が毎回大事にしているのが、その資質の「根源的欲求」を理解することです。表面的なふるまいではなく、その資質が何を求めて動いているのか。そこが見えてくると、同じふるまいがまったく違う意味を持ち始めます。

昨日扱った規律性は、まさにその好例でした。

規律性は「整理整頓の資質」ではない

規律性上位の方は、身の回りが整理整頓されているイメージを持たれがちです。実際、そういう方も多いです。

でも、「規律性=きれいに片付いている」は、必ずしも成り立ちません。

規律性は「秩序立てる資質」と説明されることが多いのですが、秩序立てることは手段であって、本当の目的は別にあります。

それは、決まった手順を繰り返すことで、迷わずに動けるようにすることです。

「これをやるときは、この手順で」という型が決まっていれば、毎回ゼロから考え直さずに済みます。判断に使うエネルギーを省けるので、行動が早くなり、成果が安定して出せるようになる。

つまり、規律性は秩序を愛する資質というよりも、成果を出すための最短ルートを確保する資質なのです。実行力の資質に分類されているのも、ここに理由があります。

では、整理整頓は何なのか

ここで少し立ち止まって考えてみてください。

規律性の本質が「迷わずに動けるようにすること」だとしたら、きれいに片付いている必要は、実はないのです。

物の置き場所が決まっていれば、それでいい。「鍵はここ」「書類はこの引き出し」。置き場所さえ決まっていれば、探す時間はゼロになり、思考のエネルギーを別のことに使えます。

だから、机の上に書類が山積みになっていても、ご本人が「どこに何があるか完全に把握している」のなら、規律性として立派に機能しているわけです。

きれいに片付いているかどうかは、また別の話なのです。

では、整理整頓されている規律性上位の方は何なのか。それは規律性の自然な表れのひとつです。秩序立てることを手段として好む資質ですから、結果として身の回りが整っていく方は多い。ただ、それは規律性が目指しているゴールそのものではない、ということなのです。

こういう理解ができると、同じ規律性上位でもタイプが違う方がいる理由が見えてきます。資質の名前だけで「この人はこういう人」と決めつけることの危うさにも気づけるはずです。

根源的欲求が見えると、関わり方が変わる

ここで少し、私自身の話をさせてください。

私の上位資質には適応性があります。その場の流れに身を任せ、予定がどんどん変わっていくことをむしろ楽しめるタイプです。

だから以前は、決まった段取りを大切にする規律性の方を見て、「なんでそんなに同じやり方にこだわるんだろう」と感じることもありました。柔軟にやればいいのに、と思ってしまうこともあった。

でも、その方の本当の欲求が「迷わずに動けるようにすること」だとわかってからは、見方が変わりました。

その方にとって、段取りを崩されることは、単に予定が変わるという話ではないのです。迷わずに動ける仕組みそのものが揺らぐことであり、成果を安定して出すための土台が崩される感覚に近い。

そう理解してからは、急な予定変更を持ちかけるときにも、ひと言「段取りを崩してしまってすみません」と添えられるようになりました。

たった一言です。でも、この一言があるかないかで、相手の受け取り方はまったく違います。

完全に相手に合わせることなんて、できません。目指すべきでもないと思います。

私が適応性の持ち主であることは変えられないし、変える必要もない。規律性の方が段取りを大切にすることも同じです。

ただ、ほんの少しだけ寄り添う気持ち。
その小さな心配りが、関係性をぐっとよくすることにつながるのだと、
日々の関わりの中で実感しています。

すべての資質に、根っこの欲求がある

そしてこれは、規律性に限った話ではないのです。

34ある資質には、それぞれに固有の根源的欲求があります。

表面的なふるまいだけを見ていると、「なんでこの人はこうなんだろう」という違和感ばかりが募ることがあります。でも、その奥にある根っこの欲求が見えたとき、同じふるまいが「ああ、この人はこれを大切にしているから、こう動くのか」と、まったく違う意味を持ち始めます。

資質の名前を覚えることは、はじめの一歩です。その奥にある根源的欲求にまで目を向けてみると、人を理解するということの景色が変わります。少なくとも、私自身はそうでした。