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伝えるということは、自問するということ

「伝えるということ」その2です。

伝えるということは、自問するということ


伝えるということは、自問するということ

遅刻することなど滅多になかったあなたの部下が、ここ数日遅刻を繰り返し仕事中も眠そうにしています。

そんな彼にあなたはこういうかも知れません。

「最近遅刻ばっかりしてるじゃないか。もっとしっかりしろ!」

果たしてこの言い方で、伝えたかったことが相手に届くでしょうか?

届くかも知れないし、そうでないかも知れません。

ここには「(遅刻を繰り返す)お前はたるんでいる。」というようなメッセージが暗に込められていそうです。

もし、彼が最近親の介護で夜もろくに眠れず、それをあなたに言えずにいたとしたら?

人は悪気なく、自分の世界で作り上げた架空の事実を、あたかも本当の事実であるかのごとく他人に伝えてしまうことがあります。

自分の世界では事実のように見えていても、相手にとって事実でなければ相手は受け取れないかもしれません。

架空の事実は、きっとこんな風に作られていきます。

[客観的事実]
今年に入って先月までは一回も遅刻をしていなかった部下が、今月はこれまでに5回遅刻をしている。

[信念]
社会人たるもの時間を守るのは当たり前で、そのために自分を律するべきだ。

[客観的事実]+[信念]=[主観(的事実)]
遅刻を繰り返すあいつはたるんでいる。(と感じている。)

主観に良い・悪いはありません。人それぞれに違うだけです。

そして、人それぞれに違うものだけに、それを事実としてお互いに共有することは、本来難しいことなのでしょう。

ある人の行為に対し「あなたは(あいつは)○○だ」というような考えが浮かんだら、こう自問するようにしています。

「それは相手と共有できる事実だろうか?」 …と。


客観的な事実と、それを自分の価値観や基準でジャッジしてしまっていることとを分けられるかどうかが、とても大事です。

これをやっていないばかりに、コミュニケーションの齟齬が生じることも多いのではないでしょうか。

相手の行為に対しネガティブな感情が湧いたら、一旦自分自身から少し距離を置いて自分自身を含めて俯瞰して眺めてみる感覚が必要です。

相手の行為に対して、こういう意図に違いないという思い込みを脇におき、純粋に目の前で起こっている事実だけを取り出してみる

その上で、なぜその行為を自分が不愉快に感じるのかを自分に訊ねてみる。

こうやって冷静に起こっている客観的事実と、それをどう感じているかの主観を切り分けられるようになると、必要以上に感情的にならずに「ひょっとして相手の意図は別のところにあるかもしれない」と仮説を立てながら、対処することができるようになります。

事実をどのように受け取るかは、人それぞれの思考のクセによります。

ストレングスファインダー®は、それを紐解くものでもあります。

自分の思考パターンが他人のそれとは違うことを理解するだけで、そこには客観視する視点が生まれます。

そういう意味でも、自分の思考のクセを知るのがとても大事なのです。



文責 ギャラップ社認定ストレングスコーチ 知識茂雄