「セルフイメージ」を崩す
先日、長野県白馬村で開催された自己基盤強化合宿に参加してきました。
今回のテーマは「セルフイメージ」。
「セルフイメージ」とは、自分で自分のことをどんな人間だと思っているかでもあるし、どういう人として見られたいかでもあると思います。
今現在自分自身が持っている「セルフイメージ」の骨格は、恐らく幼少期に形作られていると思います。
「セルフイメージ」という概念も他者の存在なくしては成り立たないものであり、その意味で幼少期において最も関りの深い親や兄弟を中心とした家族という人間関係の中で形成されることが多いと思います。
自分自身がどのような「セルフイメージ」を持っていようがそこに良し悪しはもちろんありませんが、人って往々にして「セルフイメージ」があるがゆえに何かを“演じて”振る舞っていることがあったりします。
“演じる”と書いたのは、本来の自分ではない自分を「こうあらねば」との縛りで振る舞っていることを意味しています。
それはもちろん無意識で…です。
そういう無意識のある種の“演技”が自分を苦しめていることが往々にしてあります。
例えば私の持つ「セルフイメージ」には“何でも確実、着実にこなす人”というのがあったりします。
それゆえに、何事も相手の期待に応えきちんと対応するという行動につながるし、だからこそ他者からの信頼を得るという良い面ももちろんあります。
一方で、「こういう自分であらねば」が強すぎると時にこんなことが起こります。
“何でもきちんとうまくやる人”として見られたいがゆえにその裏返しで「だらしない」とか「やらかす」人として見られたくないが同時に出てきます。
すると、失敗ややらかしをやってはいけない恥ずかしいものとして捉えてしまい、実際に何かを失敗した際にそれを隠して取り繕おうとしてしまいます。
以前はまさにそんな感じでした。
人は誰でも失敗するし、何でも完璧にこなせる人など一人もいません。
だけれど、ついつい無意識に「こうあらねば」と、そして「こういう自分でなければ価値がない」と思い込んでしまうものだし、それが「セルフイメージ」に反映されていたりもします。
そこで今私が取り組んでいるのは、ある意味自分の「セルフイメージ」を崩すことです。
具体的には、何かうまくいかなかったとき、やらかしたとき、それをできるだけオープンにするということ。
元々そんなことをしたら周囲からの信頼を失うくらいに思っていたわけで、最初はとても、とても勇気のいることでした。
でも、それを少しずつ、少しずつやっていくことで、恐れていたことは何も起こらないことを実感することができました。
そして副産物として得たものは、以前よりも周囲の人に受け入れてもらえている感覚があること。
失敗なく、何でもきちんとこなす自分だから周囲の人に受け入れてもらえると思い込んでいたのに実はそうではなかった…これは自分にとって大きな、大きな発見でした。
こういうことにどれだけ取り組んだとしても他者を前にして“演じる”部分がまったくなくなるということはないと思います。
円滑な社会生活を営む上である程度“演じる”ことはむしろ必要だと思います。
とは言え、本来の自分と“演じている”自分とのギャップが大き過ぎるとやはりしんどいです。
もし今に生きづらさを感じているとしたら本来の自分と「セルフイメージ」が大きく乖離しているのかもしれません。
まずは、自分がどんな「セルフイメージ」を持っているかを言語化するところから始めてみてください。
とは言え一人でそう簡単にできることではないので、自己基盤を扱えるコーチと一緒にやるとか、その手のワークショップに参加するとかした方が効果的に取り組めると思います。