感情の“未完了”を残さない
先日二日間にわたり、近藤真樹コーチをお迎えしてのストレングスファインダー®と自己基盤のワークショップを開催しました。
今回の自己基盤のテーマは「未完了」。
未完了とは、
「やろうと思っていてやっていないこと」
「やめようと思っていてやめていないこと」
を意味します。
皆さんもきっとこういうことに心当たりがあると思います。
「部屋の片付けをしなきゃなぁ」と思いつつ出来ていない。
そして、その部屋に入るたびに何となく気持ちが滅入ったり、重くなってしまう。
(自分も思い当たり過ぎてどよーんとしてきてしまった…(^_^;))
逆に、思い立って部屋をきれいに片付けると、思いの外心が軽くなって何となく気持ちが前向きになった。
なんてことも経験したことがあると思います。
これが、未完了を完了させることの意義です。
そしてこの未完了には、コトとしての未完了もあれば、感情という意味での未完了もあるのだと思っています。
ま、コトであっても感情と密接に関係しているので、明確に分けられるものでもありませんが…。
いずれにしろ、より感情寄りだと例えばこういうことです。
普段からとても、とても感謝している人がいたとして、それを言葉にして伝える機会のないまま亡くなってしまったとか。
何となくわかりますよね?
気持ちが残り続けて完了しない感覚…。
未完了が“非完了”ではないことでわかるように、そういう場合であっても自分の感情を完了させる方法はあります。
それでも、未完了はそもそも残さないようにすることが大事なのだと思います。
知人の死に際し思うところがあり、意識していることがあります。
その方は、突然亡くなりました。
その死に触れたとき、自分の身の周りの人も、いや自分すらも、突然この世からいなくなることがあるという当たり前のことをより強く認識するようになりました。
そこから具体的に何を意識しているかと言えば、毎日妻を仕事場に送っていく際、その別れ際に気持ちよく「行ってらっしゃい」を言うということ。
それまでは、何かと自分が勝手に不機嫌だったりして、ついついつっけんどんになっていたりもしたのですが、別れ際には必ず「行ってらっしゃい」を言うと決めてからそういうことはほぼ無くなりました。
それ以外にも、ちょっとしたことに対して「ありがとう」を口にすることが増えました。
それが相手に届いているかどうかはわかりませんが、少なくとも
「こうしておけば良かった…」
との悔い、すなわち“自分の”感情的な未完了は残りづらいかなぁと思っています。
ちょっと未完了そのものとはニュアンスは異なるかもしれませんが、二日目の自己基盤のワークの様子を客観的に眺めながらそんなことを考えていました。
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