卓越さを求める「最上志向」
「最上志向」の原語はMaximizerです。 Maximizeとは最大化、極大化するとの意です。 すなわち、「最上志向」を上位に持つ人は、常に最高のものを求め追求し続けます。 そして、ここで言う“最高”とは、ここまで到達したらそうなるというゴールがありません。 すなわち、天井知らずでより良いものを求め続けるのです。 無意識でいると質の高さを極限まで求め続けます。 言い換えると質への妥協が一切ありません。 何かしら卓越したものに惹かれ、すでに十分良いものをさらに良いものへと向上させようとします。 そういう姿勢が高いアウトプットの質を生み出します。 そして、そういう姿勢は他者にも及びます。 「最上志向」上位の人は、そもそも才能の無いところには自分に対しても他者に対しても目を向けることはありません。 才能のないところにいくら投資しても、卓越したものが生み出されることはないと感じるからです。 そういう意味で、「最上志向」の目線が他者に向いた時は、その人のそもそも才能のありそうなところ、すなわちその人が得意なところや強みをエンハンスさせる方向へと導こうとします。 端的に言えば「最上志向」の強みは、自分自身のアウトプット(いろんな意味で)の質の高さを生み出すこと、他者の強みを引き出し伸ばすこと、そしてチームとしてのパフォーマンスを最大化することにあります。他の資質を磨き、尖らせる「最上志向」
「最上志向」の別の意味の影響力は、他の上位資質を「最上志向」が磨き尖らせるところだと思っています。 例えば私の「アレンジ」は、「最上志向」で磨かれて無駄なく効率的に…が、際だっています。 何かの用事があり出かける際には、複数の用事をいっぺんに片づけられるよう用事のある場所にどういう順番でいくと最も効率的かを考えます。 イメージとしてはできるだけ一筆書きで移動する感じで、どこかに寄るのを忘れて一旦戻らなければいけなくなると「あ”~~!!(-_-#)」となります(笑)。 もちろん「アレンジ」だけでもそういうところはありますが、何か無駄なことをしてしまった時の「あ”~~!!(-_-#)」が半端ない感じ。 「最上志向」は最大化、極大化する資質だと言いましたが、他の資質が目指す方向を極限まで突き詰める感じです。 例えば、複数のオプションを想定しながら効率的なやり方を選択していく「戦略性」であれば「最上志向」との組み合わせにより、もっとも無駄のない“最短ルート”を選択する感じになります。 他の人とは異なる視点を持つ「着想」であれば、“独創性”が際立つ感じになります。 人の気持ちに寄り添い人に配慮し大切に扱う「共感性」であれば、相手のために“最大限の配慮”をする感じになると思います。 もし「最上志向」が上位にあるのであれば、自分の他の上位資質がどんなふうに磨かれているかを考えてみてください。こだわりが強みであり、妨げにもなる「最上志向」
それぞれの資質ごとにその資質なりに強みとして役立つことと、逆にその資質なりの思考パターンゆえに妨げになることもあります。 ここでは後者について解説します。 繰り返しますが、「最上志向」の特徴は何事も最大化、極大化すること。 そして、そこにはゴールが存在しません。 すなわち、ひとたびこだわりが出てしまうと、とことんそこにこだわり続けます。 もちろんその方向付けを適正にしてあげれば、それがそのままアウトプットの質を高めるという強みになります。 一方で、よくありがちなのが、そこに時間等のリソースを掛ける意味があまりないと思われるところにまで無駄にリソースを費やしてしまうこと。 例えば、何かのプレゼン資料を作っているとしたら、何を伝えるのかの内容以上に見栄えが気になってしまい一所懸命、美しい資料を作ろうとしてしまう等です。 そういう意味で「最上志向」持ちだと、納期ギリギリまで粘って良いものを作ろうとしてしまいます。 ここも、それ自体が強みでもあり、一方でもし早めにけりをつけてその分の時間を他に回すことができたならば、何かしらもっと成果を出せることがあるかもしれませんよね。 なので大事なのは、自分が何かとこだわりやすい人なのだと自覚を持つことです。 その自覚があれば、自分がついついこだわり過ぎそうになった時に自分を客観視して気づけると思います。 自分を客観視できると、場面、場面で自分の言動を適切に選択できるようになります。 すなわちこの場合で言えば、どこまでこだわるのかを自己責任で決めるということです。 そして、その部分はどんな資質であっても共通する部分であり、自分の資質ゆえの振る舞いの傾向性を理解し、自覚した上でマネジメントしていくことが大事です。「最上志向」のベストパートナーは「回復志向」
それぞれの資質ごとに大切にしているものが異なります。 なので、その違いが人同士が関わる上でのすれ違い易いポイントになるとも言えます。 これはもちろん、お互いの理解がない場合において顕著になります。 「最上志向」の場合は、既に出来ていることをもっと出来るようにする、既に良いものをもっと良いものにする、既に得意なことをさらに磨くという思考です。 それが強みであり、一方でその逆で出来ていないところには目を向けない(興味がない)というところが場合によっては弱みにもなり得ます。 具体的には、物事で言えば「最上志向」的にはうまくいっているところをさらにうまくいくようにしたいという欲求が強いので、逆に今問題がある部分にあまり目を向けない傾向があるということでもあります。 そして、この視点においてある面対極にあるのが「回復志向」です。 「回復志向」の詳細は後に譲りますが、「回復志向」の場合は“回復”という言葉が示すように、今うまくいっていないところをうまくいくように戻したい(回復させたい)というのが動機づけとなる実行力の資質です。 この点において両者の視点は大きく異なるので、相互理解がない状態ではどうしてもすれ違い易くなります。 ここでは「回復志向」上位の方から見て「最上志向」上位の人がどう見えるかで語りますが、要は目の前に問題が存在しているのに、それを見過ごすように見えてしまうということです。 そして、その視点の違いは物事だけではなく、対人関係でも現れます。 それは、繰り返しになりますが、「最上志向」上位だとそもそも自分の得意なことや強みにしか目を向けませんが、「回復志向」上位だとむしろ自分が今出来ていないところに目を向けてそこを何とかしようとするとの違いです。 すなわち、「回復志向」上位の人から見ると「最上志向」上位の人は自分の欠点を放置している人に見えてしまうことがあるということです。 だから何ということでもありませんが、少なくとも自分が他の人からそう見られている可能性があるということは自覚しておいても良いと思います。 そして、具体的にその視点の違いが顕著に表れるのは、お互いの相手に対するフィードバックにおいてです。 すなわち「最上志向」上位だと、相手の強みにフォーカスし、それを指摘する感じになりがちですが、「回復志向」上位だと、相手の欠点を指摘する感じになりがちです。 これはどちらが良いとか悪いとかの問題ではなく、単に視点が違うだけのことです。 いずれにしても、この視点の違いにより起こり得るのは、お互いが欲しいフィードバックをお互いに与えていないということです。 「回復志向」上位の人は、ある意味自分の理想の状態=あるべき姿を実現するために何が必要かを欲しています。 すなわち、自分のどこをどう“直せばよいか”の情報を欲しているのです。 「最上志向」上位の人にとり、相手の欠点を指摘することはある意味憚られることでもあります。 なので、ここは少し考え方を変え、相手がより良い状態になるためにここはこう直した方がより良くなるという視点でフィードバックをしてあげると良いと思います。 「最上志向」にしろ、「回復志向」にしろ、今をより良い状態にしたいというのは同じです。 ただ、その方向性が異なるだけなのです。 そしてその方向性の違いは、相補的に相互依存できるということでもあります。 すなわち、自分にない視点を持つ人は自分の苦手とするところを補ってくれる存在であり、自分自身は相手にとって相手が苦手なところを補い、貢献できる存在なのです。 相互理解により、その関係性を築けるとそれまでの見え方が180度ひっくり返ると思います。「最上志向」のマネジメントのコツは“間”
「最上志向」が長くなりますが、どんな資質であっても共通する部分でもありますのでどうマネジメントしていくかについて書いてみます。 まずは、自分の「最上志向」が自分にどんな振る舞いをさせているかを理解し自覚するところがスタート地点です。 そして、十分な理解と自覚が出来ると自然と何が起こるかと言えば、自己の客観視です。 すなわち、何かに取り組んでいるときに 「あっ、今『最上志向』が出ているなぁ」 と気づくことが出来ます。 こうなればしめたものです。 そうやって気づくということが何を意味するかと言えば、“間ができる”ということです。 自己の客観視ができていない状態だと、「最上志向」が野放しの状態になります。 その場面で「最上志向」を出すことが効果的であればそれで良いのですが、そうでなければ何らかマネジメントした方が良いですよね? “間ができる”というのは、そのマネジメントを可能にしてくれます。 間ができることを言い換えると、 「ここは『最上志向』を出すのに相応しい場面だろうか?」 と一瞬立ち止まることです。 多くの場合、 「あっ、今『最上志向』が出ているなぁ」 と気づける場面はあまり良くない使い方をしている時のはずです。 なので、そういう時は少し「最上志向」を緩める意識を持つと良いです。 状況を俯瞰してみて 「そこまでこだわる必要があるだろうか?」 と自分に問いかけてみてください。 安心して欲しいのは「最上志向」の求める基準はむちゃくちゃ高いので、少々基準を下げたとしてもちゃんと質は担保されるということです。 ただ誤解しないで欲しいのは、「最上志向」持ちの人は基準を下げなければならないということを言いたい訳ではないということ。 あくまで状況を俯瞰してみて 「そこまでこだわらなくてもいいかなぁ」 と思うところにまで自分の貴重なリソースを使う必要はないよね…ということです。 そしてこれは、無駄なことに時間を費やしたくないという「最上志向」の思考にもフィットするはずです。“たい”に寄せると人生の充実度が増す「最上志向」
「最上志向」は、何事もより良いものを求めて極めようとする資質です。 だから、その極めようとする方向性が大事になってきます。 要は、何でもかんでも極めようとすると無駄だし疲れるよね...ということ。 その意味での方向づけのコツは、“したい、やりたい”の“たい”に寄せていくこと。 元々「最上志向」には興味関心の向く領域のウィンドウが狭いという特徴があります。 もっと端的に言えば、好き嫌いが激しいと言っても良いかもしれません。 だから、基本的には嫌いなことはやりたくないというバイアスが働くのですが、例えば私のように「責任感」上位だと、どうしても“やりたいこと”よりも“やるべきこと”かどうかで物事を選択しがちです。 そして、どういう基準で選んだかによらず「やる以上は..」という感じで何事も極めようとしてしまうのです。 結局はそれが自分を苦しめることにつながりかねません。 なので、ここはもちろん長期的なスパンで考える必要はありますが、少しずつ自分のやることを“たい”に寄せていく、言い換えるとやりたくないことを自分の人生から極力排除していくことが大事だと思います。 かくいう私も、この数年間でそれに取り組んできました。 どちらかと言えばやりたくないことを排除していく方向で取り組んできました。 「調和性」でも、あり断るのが苦手な私にとってはチャレンジングなことではありましたが、今はそれに取り組んでみて本当に良かったなぁと思います。 なぜならば、自分のやることを“やりたいこと”に寄せていくことで単純に言えばパフォーマンスも上がります。 すなわちより成果が出しやすくなります。 だから結果的にはビジネス的にもうまくいくようになりました。 これは必ずしも「最上志向」持ちの人に限らないことかもしれませんが“やりたいことをやる”を増やしていけば人生の充実度は確実に上がると思います。
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