イヤなものはイヤと言っていい
いつもメルマガを楽しく拝見させていただいています。 今日のメルマガの「自分が迷惑と思っていることが他者にとっても迷惑だとは限らない」というのは納得できるようで納得できなくて自分が嫌なことが相手も嫌というわけではないからやってみよう、という考えはすごく納得なのですが、逆に自分が良かれと思うことをやっていても人が嫌な思いをしたり、下手すると人間関係が壊れてしまうことも現実には起きてしまうわけで、結局それをどう受け止めるか?なのかな…と思いました。 自分を尊重しつつ相手を尊重してやっていた時、自分がされた立場なら、自分のニーズに合わなくても相手は自分のためを思ってやってくれたんだな、と思える人間になれたらそれはハッピーなことですが、相手は変えられないので、結局のところはそうなってしまったら「自分とは違う考え方があるから仕方ないね」と思う割り切りも必要ってことですかね。 なかなか自分のことだと冷静には見られないのですが、確かにストレングスファインダーに出合ってメルマガを読んで他の資質の理解を深めていくにつれ、ほかの人が「●●ってひどくない?」「●●するべきだよね!」と言っていても、一歩引いて、「そういう考え方の人もいるんじゃない?」とか、「こう思って言って(やって)くれたのかもしれないよ」と言うようになったことを思い出し、ちょっと客観的に人を見られるようになったかな、とふと思いました。 日々のメルマガありがとうございます。ご意見ありがとうございます。 そうですよね。 そう思いますよね。 私も昔はそういう考えから抜け出せないでいました。 今でも実践はまだまだですが、最近は少し違った考え方になってきています。 “自分がされた立場なら、自分のニーズに合わなくても相手は自分のためを思ってやってくれたんだな、と思える人間になれたら” この部分がポイントなのかなと思います。 そして、そこに対する答えも先日のメルマガに書いていたんですけどね…。 他者尊重って、何でもかんでも相手の言動を受け入れるということではないと思っています。 イヤなものは、イヤでいいじゃんということ。 「私のためを思ってやってくれたのかもしれないけど、それはイヤ」 と言えることが、本当の意味での自己本位です。 それは裏返せば、こちらがいくら善意でやっていたとしても、相手には「イヤ」と言える権利があることを受け入れているということ。 自分と相手って、必ず等しく裏表なのです。 自分がしたことは受け入れられなくてもいいけど、相手がしたことは受け入れないといけない。 これは等しく裏表にはなっていませんよね? 自分がしたことを相手が受けれてくれないこともあっていいということは、相手のしたことを例え善意だろうが受け入れられない自分がいてもいいということです。 他者尊重とは、相手が相手の思うように振る舞うことを許すこと。 だからといって、相手の行為すべてを自分が受け入れなければならないということではありません。 「何をやってくれてもいいけど、自分がイヤなものはイヤと言うよ」 こういうこと。 これを裏返せば、どれだけ自分が善意で相手のことを思いやったことでも相手から受け取ってもらえない覚悟を持つということでもあります。 相手のしたことが善意に基づくものであっても、自分がイヤならば「No」という覚悟。 受け取ってもらえなくても、自分のやりたいことを貫く覚悟。 どちらも同じことです。 そして、それが自分にとっての“あり得ない“である人にとっては、とてつもなく難しくそして怖いこと。
相手の選択を尊重する
そう言えば、ちょっとだけここにつながりそうなエピソードを思い出しました。 先日のプチ関西旅行でのこと。 足腰の弱った義母に配慮したつもりで京都観光をバスツアーにしたものの、結局歩く距離がかなり長くて選択自体が失敗でした。 そしてとうとうある観光地にバスが着いたとき、義母はバスで待っていると言い出しました。 バスは移動が必要で、乗ったまま待つということができなかったのですが、それでも「そのあたりをうろついているから」とのことだったので、義母をその場に置いていきました。 以前の自分であれば、こういう状況で様々なネガティブな感情が湧いていたと思います。 せっかく配慮したつもりだったのに結果的に逆効果だったことへの強い罪悪感。 大変なのはわかるけど、ツアー旅行で単独行動を取られることへの抵抗感(べき、ねば)。 だからこういう時、何とか説得して一緒に連れていこうとするか、それとも一人で置いていくくらいならばと、自分たちも行かない選択をするかと悩んだと思います。 もちろん後者を選択することは難しいので、結局は置いていくことになると思いますが、それはそれでまったく自分が楽しめなかったと思います。 でもその時は、そういう感情は湧かずに「これはお義母さんの選択したことだから」とあっさり割り切ってお義母さんを置いていきました。 そして結果的に、義母は義母で近くのお茶屋さんでお茶を頂きながらのんびりと過ごし、楽しんでいたようです。 どんぴしゃ当てはまることではないと思いますが、お互いの選択を尊重するというのはこういうことなのかなと思います。 こうやって相手の選択を尊重することで、別の場面で義母の善意の行動であっても罪悪感なく「No」と言うことへのハードルも下がった気がしています。 自己本位で生きるって、いきなりポンッとできるものではないかもしれません。 それは、日々の“あり得ない”へのチャレンジの積み重ねでしか到達できないのかもしれません。 自戒を込めて。無料レポート
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