本音を覆い隠す建前を取り払う
先日は、東京に続き、福岡でストレングスxアサーティブの講座を開催しました。 アサーティブの考え方の4つの柱のうちの一つが「誠実」。 自分の気持ちと誠実に向き合うことを意味します。 大事なのは、ウソのない自分の本当の気持ち、感情をみていくこと。 そしてそれを伝えること。 恐らく多くの方が、自分の本当の気持ちをみていくこと自体を難しいことだとは感じないと思います。 自分の気持ちなんだから、わからないはずがない…と思うから。 でも、実際にロールプレイをやってみるとわかりますが、実はそんなに簡単なことではありません。 なぜならば、本音に対する建前という言葉があるとおり、本音にたどり着こうとするとそれを建前が覆い隠そうとするから。 そして、建前でそのまま伝えても残念ながら相手には自分の伝えたいことが届くことはありません。 例えばこういうケースです。 上司の指示がコロコロと変り、それにより自分が振り回されているとします。 それを何とかして欲しいと相手に伝える際、往々にしてこんな伝え方になります。 「そんな風に頻繁に指示が変わってしまうとこちらの対応が後手後手になってしまい、ひいては他部門やお客様にも迷惑を掛けてしまうのでやめて欲しいです」 そして、場合によってはこんな言葉すら付け足してしまうかも。 「私はいいんですけど…」 最初の言葉として言っていることにはきっとウソはないだろうし、実際にそういう側面はあるのだと思います。 しかしながら、こういう建前をぶつけても、相手が行動を変えるほど重く受け止めることはあまりないと思います。 (伝える=相手が行動を変える、ではありませんが…) もしこの場合で、本音の部分が 「そんなことで“私を”振り回すのはいい加減にして欲しい」 であるならば、それを伝えないと相手には響かないと思います。 その時の相手の都合で軽々に指示を変えて操られている(ように感じられる)ことで、自分をないがしろにされているように感じて悲しいのであれば、その感情を伝える必要があります。 感情とは他の誰のものでもなく、自分自身のものなので、自分の感情を伝えない限り上滑りしてしまうものなのです。 では、なぜついつい建前が先に出てしまうのかと言えば、人が社会生活を営む上で折り合いをつけることが求められてきたからだと思います。 本音と建前の使い分けが大事みたいにも言われることがありますが、その部分です。 もちろん、皆がただ本音だけをぶつけ合う世界だと混乱が大きくなるのかもしれませんので、建前は建前として必要なのだと思います。 しかしながら、何でもそうですが、一方向に行き過ぎてしまうと、そこに歪みが生じます。 建前が表に出やすい人は、ある意味本音を出すことを自分に許していない人だと思います。 常に本音を出す必要はないけれども、本音で語るのと、建前で語るのと、常に両方の選択肢を持ち、場面や相手により“選択していく”感覚でいられるのが理想です。 そして、ここでいう建前とは「こうあるべき」という考えに基づくことが多いと思います。 “べき、ねば”的な縛りが強いと、それが本音としてどうしたいのか、どうありたいのかを覆い隠してしまいます。 なのでそういう人にお勧めしたいのが、常に「“自分は”どうしたいのか?」と問い掛け、時々その欲求に従い行動してみるということです。 誰かに、何かに誘われたとき、行くべきか否かではなく、行きたいかどうかで決める。 すなわち、行きたくないと思うのであれば、思い切って断るということをやってみるということ。 そうすることで、多くの場合で恐れていたこと(相手に嫌われるとか)は起こらないことにも気づけると思います。 それを繰り返していくうちに、建前で覆い尽くされることなく、自分の気持ちを優先することができるようになると思います。 大事なのは、自分が本音で生きることを許すということは、同じことを自分以外の人にも許せているということ。 ここを崩さない限りは、本音を出す=ワガママとはなり得ないのです。 -----------
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