人は往々にして非合理な思い込みを持っている
時々ふと思うことがあります。
もっと若いときに人の多様性を理解し受け入れられていたら楽だったろうなぁと。
と言うのも、前職時代、特にコーチングを学ぶ前の若い時分には、かなり苦手な人が、いやもっと直接的に言えば嫌いな人がたくさんいました(笑)。
「調和性」を持つ私は、特に自己主張が強い人が苦手だったように思います。
そういう人たちのことを、ただ単に「協調性のない人たち」だと心の中で非難していました。
(「調和性」なので基本的に表には出さずに心の中で思ってるのでたちが悪い…(^_^;))
そして自分の場合はいろんなことに気を回すタイプだったので、そう感じられない人にも「何だかなぁ」と思っていました。
自分だってその当時から妻に対しては
「言ってくれなきゃわからないよ!」
なんてことをよく言ってたくせに、他人に対しては
「そんなこと言わなくてもわかるだろ!」
と思ってました。
とほほ…(^_^;)
まったくもって矛盾してますが、そんな矛盾を抱えつつもある意味自分を正当化することが必要だったんだろうなぁと思います。
ここは、資質的に言えば「責任感」x「自我」なのかもしれませんが、自分の場合は常に正しくあることが自分が存在する価値であるとの思い込みが強くあったように思います。
逆に言えば間違っている自分は存在価値がないとの思い込みでもあります。
だから常に自分の正しさを主張し、証明したくなってしまうのです。
ここは未だに調子が悪いときに油断すると出てしまうくらい深く根っこに存在する非合理な思い込みです。
自分が常に正しくいることなんてできっこないし、それ以前にそもそもの絶対的な正しさなど存在しない訳です。
それでも自分なりの正しさで周囲の人をジャッジしまくっていたわけで、そりゃあ生きづらいよなぁと思います。
でも割とそんな人って多いんじゃないかなぁ。
人それぞれに大切にしているものがあり、それを無意識のうちに他の人も大切にしてしかるべきだと多くの人が思っていると思います。
一方で、人それぞれに価値観は異なるし、いろんなことを大切にしている人が世の中にはいるのだと頭ではわかっていると思うのです。
それでもなかなかそれを素直に受け入れられずにいるとしたら、ひょっとしたらそこには自分の大切にしているものと自分の存在価値とが紐付いた非合理な思い込みがあるのかもしれません。
もし今の自分で生きづらさを感じているならば、自分の大切な価値観を手放したとしたら自分に何が起こりそうな気がするのか?
そんな問いを投げかけながら、自分が非合理な思い込みを持っていないかを見ていくと良いと思います。
非合理な思い込みは、完全に手放すことはできないし、その必要もありませんが、適切に緩めることはできると思っています。
個人的には、たとえ非合理であろうともその思い込みがあることで自分を自分たらしめているということでもあると思うので、思い込みを持っていることそのものが悪いことだとは思いません。
むしろそういうものがあることを当たり前と捉えて許していくことも大事だと思っています。
自分が大切にしているものを他の人にも投影してしまうのと同じことで、どんな自分であっても許せる感覚でいると他の人も許せるようになると思うので。
ちょっと脱線しましたが、いずれにしろ非合理な思い込みがあり、それをかたくなに強く握りしめているとやっぱりしんどいことが多くなると思います。
なので、場面に応じて適宜緩める方向に自分をマネジメントできるようになるとずいぶんと楽だと思います。
そして緩めるためのコツは、自分で自分に禁止していることに挑戦することです。
ここはまた次の機会に書きたいと思います。
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