重要な存在として認められたい「自我」
「自我」は、影響力の資質として分類されています。 原語である英語では Significance、“重要さ”とか、“意義”、“意味のあること”のような意味です。 すなわち「自我」の影響力としての欲求は、周囲の人に重要な存在として認識させるところにあります。 影響力の資質は、自分が影響を与えた証を無意識に求めますが、「自我」の場合それは他者からの承認です。 人の持つ周囲の人から認められたいという承認欲求を強く持つのが「自我」という資質であり、強いエネルギーを持っています。 それだけに、そのエネルギーを向ける方向付けをうまくマネジメントしていくのが「自我」を生産的に活かすカギとなります。 「自我」の“認められたい”は、自分が他の人以上に重要な存在として認められることにあります。 なので、「自我」が上位の人は、特定の領域を極めることで真のプロフェッショナルであることを求めたり、他の人には真似できないようなオリジナリティを発揮することを自分に求めたりします。 特に、「最上志向」x「自我」の場合は、“特定の領域を極める”という感覚がより強くなると思います。 まさに私自身がそうです(笑)。 意識的にやっている訳ではありませんが、大好きなストレングスを極め尽くし超一流のプロとして認識してもらいたいというのが今の仕事をやっているベースになっています。 特に日本では、承認欲求というとあまりポジティブな印象を持たれない気がします。 たしかにかつての自分がそうだったように、自分に矢印が向きすぎるとその強大なエネルギーを誤った方向に使ってしまいがちですが、うまくマネジメントしていけば本当にパワフルに活かせる資質です。まずそんな自分を受け入れる
「自我」を上位に持つ人は、ある意味スポットライトを浴びて輝く人です。 「自我」を表現したギャラップの文章には、 「あなたは目立ちたいのです」 とあります。 恐らく「自我」が上位にある人の多くがこの文章を読んでドキッとすると思います。 私自身がそうでした(笑)。 ここはたぶんに日本文化的なところもあるかもしれませんが、どちらかと言うと控えめで前に出ないことが美徳とされている中で「あなたは目立ちたいのです」とズバッと言われるとちょっと引きますよね?(笑) でも、ここで怯んで「自我」を否定しようとするのはもったいないことだと思います。 ここもどんな資質でも同じことですが、その思考ゆえに役立つ面と妨げになる面の両面があります。 そして、役立つ面をより強化し強みとして活かすにも、妨げになる面をうまくマネジメントして抑えていくにも、まずはそんな思考、感情、行動のパターンを持つ自分を自覚し、受け入れる必要があります。 「自我」の場合で言えば、自分が他者貢献することで誰かに感謝され、承認され称賛されることで満たされることを素直に受け止め認めることです。 そして、そのエネルギーを他者貢献に向けていく。 それが最も効果的な活かし方だと思います。「自我」はネガティブフィードバックが苦手
多くの場合で「自我」をうまく使えていないときは、矢印が自分に向き過ぎているときだと思います。 そもそも「自我」という資質は、“自分が”周囲の人から重要な存在として認められたいとの欲求を持っている訳なので、自分に矢印が向きがちなのはごく当たり前のことです。 それでもそこにあまりに無意識でいると、“自分が”認められたいにフォーカスし過ぎてしまい独りよがりな行動になりがちです。 そして同時に、ちょっとしたネガティブなフィードバックに過敏に反応してしまいます。 そもそも“認められたい”人な訳なので、その裏返しで何かを否定されることに強く反応してしまうのです。 私自身も昔はそういうところが悪く出ていたなぁと思います。 特に「責任感」を併せ持っていると、基本何事もきちんとやっているとの自負があるので、自分のアウトプットに少しでもケチをつけられると(そう感じると)途端に心が拗ねてしまいます。 そして、その結果「そこまで言うならそっちでやってよ!」と投げ出したくなるのです。 昔はそういう自分の特性を客観視出来ていなかったので、そういう対応をする相手に対し配慮がないと思い込んでいました。 今振り返ると恥ずかしい限りですが。 いずれにしても、“認められたい”との欲求そのものは消すことはできないし、それがあるからこその強みなのでそこを何とかしようとするのは意味がありません。 大事なのは、とにかく自分を客観視することです。 自分の心が拗ねてしまったときに「あー、今拗ねてるなぁ」と自分を眺められるかということです。 そうやって自分を客観視できるようになると、拗ねてしまったなりにその先の言動を選び取ることができるようになります。 どんな資質であっても結局はここなんですよね。 場面場面で自分に何が起こっているかを観察し、一旦立ち止まってその先の言動を“選択する”。 この“選ぶ”という感覚がとても大事です。 無意識でいると選んでいる感覚はないと思います。 そして選んだ感覚がないとそこには“自己責任”も発生しません。 逆に言えば、自己を客観視できるようになると、その先の言動を自己責任で選択できるようになるということです。 そしてここは、自分に矢印の向きやすい「自我」だからこそより大事なポイントです。「自我」をチーム、組織で活かすコツ
「自我」という資質は、どこまで行っても結局のところ自分に矢印の向く資質です。 だからこそ、無意識でいると独りよがりな言動に結びつきがちです。 チーム、組織で働いている場合は、ある意味スタンドプレーに走りがちになるかもしれません。 だからこそ効果的なのは、“自分”という意識を“自分たち”に広げていくことです。 “自分”が成果を出し認められるということから、“自分たち”で成果を出し認められるというように意識付けしていくことです。 ただし、これはそう単純なことではありません。 なぜなら冒頭で書いたように、「自我」はあくまで自分に矢印が向く資質でありそこからは逃れられません。 なので大事なのは、“自分たちの成果”に“自分が中心となり”貢献しているという図式を作ること。 つまり、自分がいたおかげでチーム、組織として成果が出せたとの図式を作っていくことです。 あくまでチームとして成果を出さねばならないので、そこには必然として他者への配慮も必要となってきます。 他者との協力も必要となってきます。 その上で自分が一番頑張るとのモチベーションでやっていけば、決して独りよがりにはならないと思います。 「自我」を活かすにあたり“自分”を“自分たち”へ昇華させていくことが大事だというのは良く言われることですが、「自我」を上位に持つ私としてはそれだけでは響かないのです。 自らの貢献でチームとして成果を出し認められる。 繰り返しますがこの図式にしていくことがチーム、組織において効果的に「自我」を活かすコツだと思っています。「自我」の動機づけを活かし貢献する
「自我」という資質は、なかなかにデリケートな資質であり、人によってはかなり扱いの難しい資質でもあると思います。 ここも繰り返しになりますが、自分の「認められたい」との欲求そのものを受け入れられずにいる方も少なくないと思います。 (もちろん中にはあっけらかんと受け入れている人もいますので念のため。) 私自身も最初はそんな感じだったし、今でも100%受け入れられているかと言えば疑問でもあります。 何かしら人の役に立つことをやっていたとしても 「これって認められたくてやってるんだよなぁ」 みたいに自分に対するある種の“あざとさ”を感じてしまったり。 それでもまぁ「仕方ないや」という感覚にはなれています。 だってどれだけ否定しようともその欲求そのものが消えてなくなる訳ではありませんから。 だったらもう開き直ってそういう自分を認め受け入れるしかないと思うのです。 そして、そういう自分なりの欲求をポジティブな方向に向けて使っていけば良いと思います。 「あざといなぁ」と自分では感じつつも、周囲の人の役に立つことをどんどんやっていけば良いのです。 だって、動機づけはどうあれ役に立っていることには違いがないのだから。 逆に言えば、純粋な気持ちではないからと人の役に立つことをやらないのも意味がないと思うし、そうやって貢献の機会を自ら潰してしまうと周囲からの承認も得られなくなり、ますます気持ち的によろしくない状況に陥ってしまうと思います。 とにかく他の人の役に立つと思えることをどんどんやっていく。 すなわち、まずはどんどんギブしていく。 そうすれば、結果的に周囲から感謝され、承認され自分の心も満たされるようになると思います。 そんなポジティブなサイクルを回せるようになることを目指していけば良いと思います。心理的安全性の高い場を確保する
「自我」が上位の人で、どちらかと言えば「自我」を存分に前面に出せていない人は、そうでない人に比べてより心理的安全性の高い場にいることが大事だと思います。 心理的安全性の高い場とは、自分の思うことを発信してもそれが自分の不利益にはつながらない場を指します。 つまり、自分の存在を否定される心配のない場のことです。 もっと言えば、出来ているところも出来ていないところも自分そのものをまるっと受け入れてもらえる場にいること。 これは、そうでない場、すなわち自分を受け入れてもらえず存在がないかのように扱われる場に居続けるとしたらどんな気持ちになるかを想像するとわかると思います。 誰でも萎えますよね? 特に「自我」が上位だと、自分の存在を否定される、あるいは否定されないまでも受け入れ認めてもらえない環境にいるととても辛くなると思います。 組織で働いている人は、そういう意味ではその組織のあり方がとても影響しやすいと思います。 もし自分の働く組織が心理的安全性の低い場である場合、可能ならばそこから抜け出した方が良いのは間違いないですが、なかなかそう簡単にはいかないですよね? なので少なくともここでは心理的安全性が確保されていると思えるコミュニティに自分の身を置くというか、そういうコミュニティを見つけることが大事です。 自分の場合で言うとそれがコーチングのコミュニティでした。 多様性を認め受け入れるというのが当たり前にあるコーチングのコミュニティにいることでより自分らしくいられるようになったと思います。 そして、そうやって心理的安全性を得た自分は他者貢献にも目が向けられるようになります。 ここは以前書いたまずはギブをしていくということです。 そうやってそのコミュニティの中で確かな存在感を発揮していく。 そうなれると、日常の生活にも充実感が出てくると思いますし、いろんなことにチャレンジする勇気も湧いてくると思います。 今そういう場を持っていないのであればぜひ探してみてください。 そして勇気を出して飛び込んでみてください。 自分が受け入れてもらえるかわからない未知の場に飛び込んでいくのは「自我」だからこそ怖いかもしれないけれど、そこだけは最初の一歩だけは勇気を振り絞ってください。 そしてそうやって勇気を出した自分を自分で認めて褒めてあげるのも大事だと思います。 「自我」がうまく使えていない人は、必要以上に自己肯定感を下げていることもあります。 他者に承認される前にまず自分からという意識を持つと良いです。 というか本当は、自分で自分を認めていないから他者からも認められていないように感じるというのが正解なような気もします。 ま、このあたりはいずれ別の機会で深めることにして…。 とにかく、ここに帰ってくれば安心だと言える母船のような場所を持っておくのが大事だということです。 それは、「自我」x「親密性」の人で言えば自分をまるっと受け入れてくれる親友のような存在かもしれません。 たとえ外の世界で傷ついてもその場所に戻れば心が癒やされる。 そういう場所を持っている人は強いと思うのです。
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