考え尽くしたその先に得られるもの
こうやって集合型の学びの場に身を置くのは、たぶん8ヶ月ぶりくらい。 「適応性」的に引きこもり生活(?)にもそれなりに適応していたつもりではいたけれど、やっぱりフラストレーションが溜まっていたんだなぁと実感しました。 実際、ここ数ヶ月間ずっと調子が悪い感じがしていたのが、少し軽くなった気がします。 単純に人と直接触れ合うというのは、何かが満たされるものだなぁと改めて思いました。 もちろん、お互いがお互いを認め合うという安心安全な場であることが担保されているからこそではありますが。 今回自己基盤で扱ったのは「価値」。 ここで言う価値とは、自分にどんな価値があるかということではなく、自分が何かをやっているとき純粋にそれを喜びとしてやってしまっていること、みたいな意味です。 すなわちそこに、それをやることに、自分として“価値”を感じているということ。 そして人の持つ動機づけには、この「価値」の他に「ニーズ」というのもあります。 「ニーズ」とは、自分にとって必要な何か(ある意味満たされていない何か)を満たすためにとってしまう行動がある時、その満たしたい(満たされていない)何かを指します。 今回のワークショップに参加する前に、予行演習的にマイコーチとこの「価値」について扱いました。 それでも、ついつい自分の意識が向いてしまうのは「ニーズ」ばかり。 「ニーズ」があること自体悪いことではないのに、自分の場合はニーズで動いている時にいろんなことを“やらかしてしまっている”との自覚が強いあまり、どうしても「ニーズ」に意識が向いてしまうと苦々しい気持ちになってしまうのです。 「ニーズ」と「価値」は同じようなところで顔を出すので兄弟、姉妹みたいなものです。 私の場合は、“誰かの役に立つ”というのは、「価値」でもあり「ニーズ」でもあります。 例えば自分自身が5月に企画しているワークショップでは、来てくれる方たちをどのようにおもてなししようかと考え準備しているときは、とても楽しいしワクワクします。 一方で、自分の感覚としては役に立ち喜んでもらうことが自分の存在価値を感じられることにもつながり、感謝や称賛の言葉を得たいという部分もあり、それはある種の「ニーズ」でもあります。 さらに私の場合は、そういう「ニーズ」がありながら動いている自分に対し、ある種の“あざとさ”を感じてしまい、そこが苦々しいとの感情につながります。 今回私がこのワークショップに参加するにあたり一つの目的としていたのは、「ニーズ」と切り離して自分の本当の「価値」を明らかにすることでした。 で、その成果は得られたのかと言えば全然でした!(笑) それでも一方で、すごく満たされている自分もいます。 不思議ですね。 最終的に私の至った境地は、 「『価値』だろうが『ニーズ』だろうがそんなのどっちでもいいじゃん!」 でした。 身も蓋もない…(笑)。 ま、上でも書いているように、そもそも完全に切り離すのは無理なんですね。 それでもずっと調子の悪かった自分は、意識が「ニーズ」に向き過ぎて苦しくて、ある意味「価値」にすがりつきたかった、そんな感じだったのかもしれません。 最終的に何で上で書いたような境地に至ったのかも実は良くわかりません。 そこには、言語化できないただの“感覚”があるだけです。 自分の場合は常に言語で思考している感じがあります。 だから、こういう場にいると、 「考えるのではなく感じなさい」 と、よく言われます。 でも、それって無理なんですよね。 考えてしまうのです。 だから今回も、ワークショップの間中も、それ以外の時間も、とにかく思考しまくっていました。 そして今振り返って思うのは、とことん思考した挙げ句の得た感覚なんだろうなぁということ。 感情も、それを否定することなく味わい尽くすことが大事だと言われます。 思考も同じなんじゃないかなと思ったのです。 考えて、考えて、考え尽くしてたどり着けないその先には、ただ感じたものしか残らないのではないかと。 まったく根拠無くただそう感じた次第です。
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