凸凹の自分を許す
今月楽しみにしていたイベントがあり、すっかり申込みをしていたつもりになっていたのに確認してみるとしていなくて、しかも満員御礼となっていました。 昔の自分がこういう時にどう対応したかというと、たぶん単純に諦めていたと思います。 一つには「適応性」的にすぐに「仕方ないや」と思ってしまうから。 そしてもう一つは、こういううっかりミスをしてしまったことを他の人に知られるのが恥ずかしいから。 いや、もっと言うと怖いという恐れの感覚すらあったかもしれません。 私を知っている人には、きっと私は何かとしっかりしている人と映っていると思います。 実際、「責任感」的にも自分でもそうありたいと思っています。 でも実際は、時々信じられない大ポカをやらかすのです。 以前、東京出張の際に帰りの羽田で手荷物検査に入ろうとして入れず、「なんで??」と思ってカウンターに行ったら、熊本⇒東京を予約していたなんてこともあります(^_^;)。 で、以前の私は、そういう大ポカをしてしまう自分を隠そうとしていたと思います。 なぜならば、ちゃんと、きちんと、しっかりとした自分でないと存在価値がないとのナゾの思い込みを持っていたから。 でも今は、そういうヘマをやる自分を許せているので、ヘマした姿を見せることにもだいぶ抵抗感が薄れてきました。 で、今回は以前主催者の方に「是非参加させてください!」と言っていたこともあり、正直にうっかりしていたことをお話ししました。 すると、偶然にもキャンセルが出たとのことで、参加させてもらえることになったのです。 ひょっとしたら私に気をつかってねじ込んでもらったのかもしれませんが(笑)、いずれにしても全然期待していなかったことがそこで起こったのです。 で、本題です。 以前の自分だとどうだったかと言えば、恐らくただただ諦めるのみだったと思います。 要は何もしない。 その結果何も起こらない。 何も悪いことは起こらない代わりに、良いことも何も起こらない。 少し上で書いたニュアンスとは異なりますが、失敗を恐れるあまり何もしないことを選択するのも同じことですね。 何もしなければ失敗はしなくて済む。 その代わりひょっとしたら得られていたかもしれない何かを得るチャンスを失ってしまう。 そもそも、失敗を恐れる人は失敗を良くないものと捉えています。 でも、冷静に考えれば何も失敗しない人などこの世にはいません。 だから、失敗は必ずしも恥ずかしいことではない。 そう思えると、それだけで楽になれるし、何かにチャレンジするハードルも下がると思うのです。 私の周りにいる素敵な人たちの一つの特徴は、とっても素晴らしいところととってもダメなところが共存していること。 その凸凹が人としての魅力なのかもしれませんね。 凸凹しているありのままの自分を許し、認めている。 私もそうありたいと思っています。
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