“正しさ”をぶつけて後悔する
お昼過ぎに突然携帯に電話がありました。
福岡での講座のために予約した会場の管理会社の方からでした。
担当の方が急病となり、当日の会議室が使えなくなったとの連絡でした。
その時の私の瞬間の反応としては、「それは困る!!」でした。
既にお申込みを頂いている中でいきなり会場が使えませんと言われても…と。
担当者の方の急病は致し方ないとして、代理を立てる等管理会社としての“責任”は果たす“べき”だと。
実は、この会場の予約受付け等はこの会場の管理会社が直接やっている訳ではなく別の会社が様々な会社の会場予約を一括で管理しています。
なので、その場では「◯◯会社さんとも相談してちゃんと使えるようにお願いします。」と伝えて電話を切りました。
でも、電話を切った途端に今度は「調和性」が出てきてものすごくモヤモヤしてきました。
「急病じゃ仕方ないよね。」
(口を尖らせ気味だったので)「あんな言い方しなくても良かったよね。」
「自分以外にもたくさんお断りの電話しなくちゃいけなくて担当の人も大変だよね。」
「この状態でそのままこの会場使っても、全然気持ちよく使えないよね。」
とセルフトークした結果、ひとまず別の会場が空いてないか探すことにしました。
すると幸運にも適当な会場が空いていたので、そこを予約し最初の会場の管理会社に電話してキャンセルを承諾する旨伝えました。
今振り返ってみると、こんな風にアグレッシブ(攻撃的)に対応するのではなくもっとアサーティブに対応できなかったのかなぁと思います。
「他の会場が予約できるか確認するので待って欲しい。」
「確保できない場合は管理会社の責任として当日会場が使えるように手配して欲しい。」
のように。
でもまあ、こういうのも瞬間的な反応なのでなかなか難しいのも事実。
“べき”、“ねば”を緩める努力をしつつ今回は、事後対応をしっかりできたということで自分をねぎらうことも同時に大切なんでしょうね。
