資質の違いは役割の違い
たまたま「個別化」と「公平性」で書いていますが、すべての場合で言える大切なことだと私が思うことを書いています。 ----------------- まず、お願いです。 私がこの講座を主催している理由(34資質すべてを学ぶ場を提供している理由)は、自分が上位に持たない資質も含めてすべての資質のその資質なりの素晴らしさを理解して欲しいと思っているからです。 私は、すべての人がその人なりに異なる資質の並びを持っているのは、すべての資質によって生じる思考をすべて一人の人間が取り入れることが出来ない以上、人それぞれに“役割”が与えられているのだと思っています。 なので、私としてはたとえ自分と異なる価値観を持つ人であっても、自分とは異なる役割を持っている人として尊重することを大切にしたいと思っています。 皆さんに対しても、自分の上位にはない資質に対して感覚として理解できなくてもいいし、その考え方に同意できなくてもいいけれども、少なくともその資質とそれを上位に持つ人を尊重する気持ちと、最大限の配慮、思いやりを忘れないで欲しいと思っています。 今回の「個別化」「公平性」にしても、それぞれにこの社会において必要な考え方です。 「個別化」と「公平性」の大きな違いの一つの側面は、“個の利益”に重きを置くか“全体の利益”に重きを置くかの違いです。 当たり前ですが、どちらも大事な考え方です。以降は、具体例を用いてそれを解説していきますが、くれぐれも正しいかどうかでジャッジせずに読んでください。 この場では「個別化」上位の方が多いのでバランスを取る意味で以降は「個別化」上位の方向けに書きますが、「公平性」的な考え方がもっとも必要なのは、「社会福祉」の領域だと思います。というかこれが最もわかり易い例えかと。 「福祉」という言葉をWikiで引くと“すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念”と出てきます。この理念そのものが「公平性」の考え方に符号するものだと私は思います。 もちろん、「個別化」上位の人がこの理念を否定しているとはまったく思いません。要はそこにどれだけ重きを置いているかの違いです。 具体的に言えば(極論として書きます)、「個別化」上位の人は目の前にとっても困っていて助けが必要な人がいたら、まずその人を助けることに注力すると思います。 人を助けることに意識が向くかどうかは別の資質にもよりますが、ここで言いたいのは、目の前の人に注力し、リソースを振り向けるということは、それにより“ほどほど”困っている人は放っておかれる可能性が出てくるということです。 ある意味“ほどほど”の人は自助努力で…と思えるのが「個別化」上位の人かもしれませんが、その考え方によるとすべての人を隈無く見ていくという視点に欠けてしまうので、どこかで本当に助けが必要な人がいるのにその声を拾えないということが起こる可能性があります。 「公平性」の人は、常に“全体”という視点があるので、そういった“漏れ出てしまう”人たちをちゃんとすくえる可能性が高まります。そういう意味でも「公平性」的な思考は世の中にとって絶対的に必要なのです。 一方、「公平性」のそういう思考だけに、前述した本来最大限手厚く援助されるべき人に“ほどほど”の援助しか行き渡らない可能性も出てきますね。そういうところを補うのが「個別化」的な思考だと思います。 要は何が言いたいかと言うと、上述したように、それぞれに、どちらも、必ず、必要な考え方であること。 そしてそのバランスを取る意味での“正解”は存在しないこと。 それゆえに常にそれぞれの大切にしているものをぶつけ合いながら、その時点での正解を探し続けることしかないこと。 そして何より、そこで必要なのは、お互いの考え方を否定するのではなく、可能な限り相手の思考を理解しようと努力し、自分と異なる価値観を尊重し、お互いの役割の違いを認識しながらこの社会をより良くしていくこと、人それぞれにより幸せになること、その大きな目的に沿って協力し合うことだと思っています。 少なくともこの場にいる人たちは、そういう場所を目指す仲間であって欲しいと心から願っています。
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