ストレングスに並んで、私が大切にしているのがアサーティブです。
今は「伝え方解体新書」として、私の大切なコンテンツとしてお伝えしています。
以前、メルマガで連載した「私とアサーティブ」を以下に紹介します。
私とアサーティブの出会い
私にとって、ストレングスと並んでとても大切にしているアサーティブについて書いてみたいと思います。
自分の中では
コーチング、アサーティブ、ストレングスは、無理なくつながっています。
そのあたりも含めて、私のオリジナルのコンテンツである「伝え方解体新書」の生まれた経緯も書いてみますね。
まず、
アサーティブとは、自分も相手も両方大切にするコミュニケーションのあり方です。
いろんな言い方がありますが、
ポイントは自分もOK相手もOKです。
今になって思うのは、この順番も大事だよねということです。
そう、自分が先。
私のように「調和性」を持っていると、どうしても他人軸になりがちで、他者を大切にと考えがちです。
でも、その前に
自分のことを大切にせずして相手を大切にするなんて、そもそもできないのです。
というのは、コーチングも併せて学び始めてから徐々にわかってきたことで、アサーティブと出会った2006年当時にはその感覚はなかったですね。
私がアサーティブと出会ったきっかけは、その当時の社長が募集を掛けた社内風土改革Prjに応募したことです。
社内の風通しを良くするために、アサーティブを導入しようということになったのです。
そして、費用を抑えるためにPrjメンバー自らが社内講師として活動していくことになりました。
そのために最初に実施したのは、トレーナーのためのトレーニング講座でした。
その最初のアサーティブを学ぶ機会で、私にとって最初の大きな気づきがありました。
その講座では、インストラクションも同時に学んでいくので、実践的なトレーニングの中でお互いフィードバックし合う時間がありました。
講師からは、まず良かったところをフィードバックしてくださいと言われていたのですがついつい私はこう言ってしまいました。
「◯◯がとても良かったと思います。ただ…」
その瞬間講師から、こんな言葉が怒気を含んで飛んできました。
「“ただ”は要りませんっ!!」
私はハッとしました。
その当時の私は、そういう厳しい言葉を投げかけられたらムッとしていたと思うのですが、なぜかその時はハッとして素直に反省しました。
そしてなんだか恥ずかしいような気持ちにもなりました。
「内省」してしまう私は、それ以降しばらく耳に何も入らないくらいいろいろと考えてしまいました。(笑)
結局のところ
自分の無意識の視点は、他者のアラ捜しでした。
良いところをフィードバックしてくださいと言われても、見ているのはアラの方です。
だから、良いところを喋っていてもそれはあくまで付け足し。
自分のそんな普段の姿勢に気づいてしまい、赤面する思いでした。
アサーティブとは直接は関係しませんが、
恐らく初めてと言っていいと思うくらい素直に自分のことを客観視できた瞬間として、今でも時折り思い出すエピソードです。
そして自分がアサーティブを伝える立場になって、どんどんと自分の中で深まっていくそんな感覚がありました。
次は、自分が社内講師として社員の皆さんに伝えながら気づいていったことを書いてみたいと思います。
感情と向き合うことの大切さに気づく
私が前職時代社内講師として、アサーティブを伝え始めたのは2006年のことです。
それから退職するまでの約6年に渡り、私だけでも述べ数百名の方にアサーティブを伝えてきました。
所属もポジションも様々な6名の仲間と伝え続けたこの研修の評価は非常に高く、受講した人の実に97%以上が内容に満足したと答えていました。
逆に言えばそれだけ職場でのコミュニケーションに課題があったということだと思います。
多くの方にとって、アサーティブという言葉は馴染みのないものです。
でも、前職時代の会社内ではアサーションという言葉は普通に使われていました。
そういう意味では、今思えば稀有な会社だったんだと思います。
私自身研修を始めた当初は、そんなにアサーティブがしっかりと自分の中に入っていたわけではありませんでした。
トレーニングを受けたとは言え、その当時はまだコーチングも学んでいなかったし、自分自身もコミュニケーションに課題を抱えていた状態で毎回が試行錯誤でした。
この研修では、参加者全員に伝え方のロールプレイを実施してもらっていました。
ある意味このロールプレイがこの研修の肝でした。
でも、始めた当初はここをきちんとハンドリングできていなかったと思います。
アサーティブな伝え方には一つの型があります。
自分の気持ちに正直にかつ相手に配慮した伝え方の型です。
最初の頃の私は、いかにこの型に当てはめるかを考えるだけで精一杯だったと思います。
でもやっているうちに少しずつ気づいていきました。
なぜそれを伝えたいのか。
なぜそれが伝えづらいのか、なぜ伝えることができなかったのか。
そこには
必ず感情が伴います。
だから、その感情に共感していかないと受講者には響かないのです。
でも、当時の私は感情を扱うことが苦手でした。
何故ならば、自分自身の感情すらうまく扱えていなかったからです。
当日の私は「分析志向」や「責任感」で正しさを基準に理屈で動いていました。
いかに“正しく”あるかを考えていました。
ある意味そこに感情は邪魔だったわけです。
正しさの基準で周りをジャッジしまくっていました。
それが自分をしんどくしていることにも気づかないまま。
そして
コーチングやアサーティブを学び、それらをアウトプットしていくうちに感情の大切さに気づきました。
少しずつですが
自分の感情とも向き合うようになりました。
自分を客観視するクセがついていきました。
すると、それまである意味方程式的に伝えていたものを、
方程式では解けないモヤモヤっとしたものも伝えられるような感覚になっていきました。
感情ってモヤモヤっとしたものですよね。(笑)
そういう自分でロールプレイに臨むと、時折りその場で涙を流して素直に感情を表現する人が現れるようになりました。
人は
自分の感情に共感され安心感を覚えると、素直に自分の感情を表現できるようになります。
そういう場面を目にするようになった頃ようやく自分自身も、なんとなく緩くなったような感覚を得ていました。
やっぱり
何でも鏡写しなんだよなぁとその時実感しました。
自分のあり方がその場を作りその場にいる人が自分のあり方を見せてくれる。
もちろん良いことばかりではなく悪いことも全部。
上ではいいことばかり書いていますがもちろん決してそんなことばかりではないですね。
周りに迷惑を掛けたことも数知れず。(^_^;)
ま、ここではそれは置いておくとして。(笑)
いずれにしてもこの
アサーティブ研修を担当した時期は、自分にとって大きな人生の転換期だったと思います。
次は私にとってのアサーティブとは?を書いてみたいと思います。
自分の選択で生きるということ
私のアサーティブの定義は、
「自分の選択で生きる」です。
これは、私の勝手な定義であって一般的な定義ではないので誤解なきよう。(笑)
アサーティブは伝える技術として語られる側面があります。
でも、アサーティブをただの技術、スキルと捉えるともったいない気もします。
アサーティブのとても大切な考え方の一つに「自己責任」というのがあります。
“伝える”行為における
「自己責任」とは伝えるにしろ、伝えないにしろその結果を自分で引き受けるということを意味します。
言い換えると
伝えるにしろ、伝えないにしろその結果起こることには、自分で責任を取るので伝える、伝えないは自分で選んでいいということです。
大事なポイントは、
“伝えない”も自分で選択していいということです。
だけれども
多くの人はこの“選択する”という感覚を持っていないのもまた事実です。
特に「調和性」や「共感性」などの人間関係構築力の資質を持っている人は、いわゆるノンアサーティブになりやすく、伝えない選択をしているというよりは、相手の気持ちを考えると“伝えられない”という感覚でいることが多いと思います。
ものすごく意地悪な言い方をすれば、
伝えないという選択をしているのは自分なのに“伝えられない”と言い訳をしてしまっているのです。
はい、私のことです。(^_^;)
“伝えない”という行為に
「自己責任」を当てはめないとどうなるかと言えば、確実に他責になります。
本当は自分としては「こうして欲しい」があるのに、相手の気持ちを考えると伝えられない。
でも、
伝えていない以上相手は何も変わらない。
伝えてないのだから、自分のして欲しいことを相手がやってくれるなんてことは当然起こらないわけです。(※伝えたから相手が自分の要求したとおりに何かをやってくれるということではもちろんないですけどね。)
「自己責任」とは、その
何も起こらないということを受け入れるということを意味します。
でも「自己責任」の概念がないとどういうことが起こりがちかと言えば「これだけ私は困っているのになぜわかってくれないの!!」です。
自分で“伝えない”を
選んでいる感覚であれば決してこうはなりません。
“伝えない”の前提には、相手には何も要求しないつまり自分のうちですべて収めることができるとの前提があるからです。
そしてこの
“選択する”という感覚を得るためには本当の自分の気持ちに気づく必要があります。
自分に湧いている感情のさらにその奥を覗いて自分が本当にどうしたいのかを探っていくのです。
それが見つかって初めて何かを“選ぶ”ということができるようになります。
この“選ぶ”という感覚は何も“伝える”に限ったことではありませんね。
自分の言動の全てを自分で選択している感覚が得られれば、すべてを自責で選べるようになれば、人生はより主体的なものになっていきますね。
誰かに依存するのではなく、自分の人生を自分のものとして生きていく。
「伝え方解体新書」はそういうメッセージを込めてお伝えしています。
自分の本当の気持ちに気づく
前回は自分で選択するためには、本当の自分の気持ちに気づく必要があることを書きました。
今回は、その部分をもう少し詳しく書いてみます。
私のアサーティブの講座や研修では、かならず伝え方のロールプレイを入れています。
ロールプレイとはロール=役割プレイ=演じるなので、そのまま役割を演じるということです。
ここでは普段伝えづらくて伝えていないことを伝えることにチャレンジしてもらうことにしています。
その中で
もっとも大切なのは、もちろん自分の本当の気持ちに気づいてもらうことです。
特に、自分に湧いている本当の感情に気づいてもらうことを大切にしています。
その部分をきちんと見ていくと、時々こんなことが起こります。
普段自分の言いたいことを率直に言えない人は「調和性」とか「共感性」を持っている人も多いと思います。
一方で私がまさにそうなのですが、「責任感」とかの“べき”、“ねばならない”の出やすい資質を併せ持っていると、言わないけれどもその人の言動を“正したい”という欲求を抱えていることも多いものです。
言いたいのに言えない…それがストレスになっていたりします。
で、そういう方のロールプレイに関わる際は、特に丹念に感情の部分を見ていくようにしています。
例えば「責任感」上位の人は仕事の納期は必ず守ります。
だから、そのあたりがルーズな人には一言物申したくなります。
そういう事例の時その方にどんな感情が湧いているかを聞いていくと、ほとんどの方がイライラとかの怒りに似た感情だと答えます。
もちろんそれはそれでそうだと思います。
ウソではないと思います。
でも、私の場合は、それがその人の本当の感情だとはみなしません。
多くの場合は、
その奥に本当の感情が隠れていたりするからです。
そこを見つけるために、周辺の情報を仮説を立てながら聞いていったりもします。
例えばその指摘したい相手は、自分以外の周りからはどう言われているのか?
やっぱりルーズでだらしない人と思われているのか、それともなんか知らんけどいい加減にやっても「しょうがないな~」みたいに許される人なのか。
で、実際かなりの確率で後者だったりするわけです。
すると、
その人が本当に許せないのは、自分が許せないその状況を周りが許している状況なのかもしれません。
「自分はきちんとやっているのに!」
「それなのにあんなにチヤホヤはされていない。」
それが、悔しかったり悲しかったり、寂しかったり、虚しかったりするのかもしれません。
だとしたら、それが自分の本当の感情なのです。
ここまで見ていって初めて、自分で選択するという感覚が生まれます。
なぜならば最初の
怒りの感情の段階では伝えるか、我慢するかの選択肢しかありません。
そして“我慢する”には“自己責任”の概念は入ってきませんね。
つまり自己責任を伴う選択にはならないのです。
でも、
自分の本当の感情に気づいたとき、自分が本当はもっと認められたいんだと気づいたとき、初めてそれを伝えるのか伝えないのかの選択ができるようになります。
「そうかあ、自分を認めて欲しいと思っているだけなんだ。」「じゃ、この人に何かを伝えても意味はないんだな。」なんてことも起こるわけです。
だから私の講座のロールプレイでは、
“結局伝えなくていいことがわかりました”で終わることも少なくないです。
伝え方のトレーニングなのにそれもどうかと思いますが。(笑)
それでも、やっぱりここを疎かにしたくはないのです。
ここは私のささやかなこだわりです。
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文責 ギャラップ社認定ストレングスコーチ 知識茂雄