私なりのお金との向き合い方 その2
前回の続きです。直近の出来事でずいぶんとお金に対する感覚が変わってきたなぁと思うことがありました。
その前にお金の無かった昔の話しを少し…。
こういうところがマインドの問題なんだなぁと気づかされた出来事が二つありました。
同時にとっても心の痛みを伴うものとして。
一つ目は、とあるイベントに参加したときのこと。
何の目的か忘れたのですが、そのイベントの中で募金箱が回ってきたのです。
一緒にいた知人は何のためらいもなく財布から3,000円くらいを取り出し募金箱に放り込みました。
私はそれを見てドキッとしました。
「いやいやそんなには入れられないなぁ」と。
気前よく募金できない自分に自己嫌悪し落ち込みました。
もう一つは、知人数名との飲み会でした。
最後に清算する段階で一人の知人が割り勘の金額よりかなり多めに出しました。
それを見て私は「あっ…」となりましたが割り勘金額以上に出す勇気がその時はありませんでした。
この時もまた自己嫌悪に陥りました。
未だにその二つのエピソードはその時味わった感情と共に思い出します。
今に戻ります。
先日知人ととある神社にお参りに行きました。
同行した知人は神社にお参りする際よくこう言います。
「神社にお賽銭あげるときは白いお金がいいんだよ」そのとき財布を覗くと白いお金は一円玉と500円玉のみでした。
この時私は割と躊躇なく500円玉を選択できました。
恐らく500円玉すらなければ千円札を選んでいたと思います。
ここはもちろん大きな金額を出した方がご利益があるよとかそんな話しではありません。
私的に大事だと思っているのは、何の見返りもないことにも躊躇なく(大きな)お金を使えるという感覚そのものです。
募金にしてもそう、飲み会で他人よりたくさん支払うのもそう。
その時何かの見返りがあるわけではありません。
それでも出せる、その感覚こそが大事だと思っているのです。
見返りを求めず出せるというのは、見返りを与えずもらえるにもつながります。
そう、ここでも出せると受け取れるは表裏一体なのです。
そして見返りを与えずもらえるというのは、前回の記事で書いた、もらえる金額は自分で自分に感じている価値と比例すると書いたことと照らせば、無条件に自分に価値を感じられているということになります。
本当の意味でここに至ると、自分の回りで大きなお金が循環していくことにつながるのだと思います。
私自身はまだまだそこには至っていませんが。
いずれにしても見返りを求めずに出す、この先はこれを実践、いやトレーニングしていきたいと思っています。
自分を使った壮大な実験です。
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