大切なのは“許し”
ご質問をいただきました。 ----------- > 先日感想をメルマガで取り上げていただき、納得した次第です。 > 立て続けで恐縮ですが、どう対応すればいいのか?と思う事柄があります。 > 私は○○・○○・○○・○○・○○・・・と続きます。 (※資質名が書いてありましたが人が特定されてしまう懸念があるのでマスクしています) > 私は同じ失敗を繰り返すことに、異常なほどの嫌悪感を抱きます。 > 言葉を選ばず表現すると、「学習能力がないアホ」と感じます。 > もちろん、自分に対しても。 > 回復志向と内省から、誰にも見えないエラーや危機が瞬時に見えることを学び、納得しました。 > 人には見えないのだから、分かってもらいたければ、伝わるように説明しなければいけない、とも学びました。 > ただ、説明したらかといって、伝わるかどうか、伝わったとしても、自分と同程度にリスクとして捉えるか否か、など、反応は様々だと思います。 > そこまでは受け入れられるのですが、進んではいけない道を共に進まされ、結果自分が思い描いていた通りの失態となり(ここまでが我慢の限界)「共に」しりぬぐいをさせられる。 > この状況がどうにも受け入れがたいのです。 > 失敗しなければ分からないこともある、とは思います。 > なので、どうしてもその道を進みたい、という人を止める権利はないと思っています。 > が、私はその道の先に何があるか分かるから、道連れにしないで…と感じます。 > そして多くの場合、わたしにとっては「ほらね」と感じる失敗なのです。 > 何かいい対処法、考え方はないでしょうか・・・。 ----------- まず、“誰にも見えないエラーや危機が瞬時に見える”の部分は、「回復志向」x「内省」というより「回復志向」x「慎重さ」かなぁと思います。 「回復志向」は、問題解決型の思考になりやすく、結果的に(無意識に)問題のあるところを探している感じだと思います。 そして、「慎重さ」はリスク回避の思考であり、「回復志向」との組み合わせにより、何かしら問題が起こることをリスクと捉え、予め対処したいとの無意識の思考になりやすく、結果的に“誰にも見えないエラーや危機が瞬時に見える”ということにつながるのだと思います。 で、ここで起こっていることもまた前回までに書いてきたことと図式は全く同じだと私は思います。 要は、大元にあるのは“どんな時でも失敗は許されない”との非合理な思い込みなのだと思います。 それがもう少し浅いところで言えば“想定できるリスクを排除しないままで失敗するのはあり得ない”につながっているのかなぁと。 だからこそ、予めリスクを想定し、リスクを排除せねばとの無意識の思考になるのだと思います。 もちろん、頭ではそういう思考が非合理なものであるとわかっていても、心で納得はできていないということだと思います。 こういうのは誰しも持っていますよね。 で、こうした非合理な思い込みを緩めていくには、ただ“思考する”だけでは難しいのかもしれません。 だからと言って「わざと失敗してみよう!」というのもこの場合は無理があると思います。 一つあり得るとしたら、今の段階では自分にはリスクが見えていたにも関わらず、結果的にそのリスクが排除されることなく物事が進んでいて、自分の思う通りの(良くない)事態になったということにしか目を向けていないというか、目が向かないと思うので、そうでないことにもきちんと目を向けてみましょうということです。 すなわち、自分にはリスクがあると思えていたことでも実際には心配したことが起こらず、うまくいったということも必ずあったはずです。 たとえそれがごくまれであったとしても、必ずあったはずです。 そしてその場合は、リスク観点からストップを掛けずにそのまま進めていって成功だった事例となっていたはずです。 こういうふうに、まずはニュートラルに物事を見るということを意識してみることが大事だと思います。 その上で、多少のリスクは感じるけれども先に進めてみるということを自らやってみることが必要だと思います。 そういうことを、小さなこと、すなわちたとえうまくいかなくとも影響の小さなことからやってみることです。 それを繰り返すうちに、自分が見ているリスクは絶対的なものではないということに気づけると思います。 そして、多少リスクを負ってでもやってみることで得られること、もっと言えばやってみることでしか得られないことがあることを、なにがしか実感できると思います。 非合理な思い込みは、行動による気づきでしか緩めることはできないと私は思っています。 そしてもう一つ、まったく異なる観点から思うことがあります。 それは、ひょっとしたら自分には見えているリスクを無視して物事を進めてしまう人に道連れにされたとき、それに対して強い怒りを感じてしまう自分を、自分自身が否定的に見てしまっているのかもしれないということ。 そうでないとこうした相談には至らないとも思うので。 もしそうだとしたら、過度な自己否定もまた緩めていった方が良いと思います。 すなわち、誰かに対してイライラしてしまう自分も許していくということ。 自分には見えていたリスクを無視された挙げ句うまくいかなかったら、それは誰でも「そら見たことか!!(-_-;)」となるのは当たり前だと思うのです。 なので、そういうときは 「『こういうリスクがありますよ』って言ったのに聞かないんだもん。そりゃあ腹も立つよね」 的に、自分で自分をなぐさめ、いわわることもあってよいと思います。 可能であればその残念さをアサーティブに相手に伝えられると尚よいと思います。 もちろん、それで相手がどう対応するかは相手の問題ですが、自分の残念に思ったその感情は伝えてみてもよいのではないかと私は思います。 いずれにしても私が大事だと思うのは“許し”です。 自分の特性を否定することなく「仕方ない」こととして許していく。 そして、今まで自分には許せていなかった言動を自分が取ることも許していく。 ここはもちろん勇気が要ることだし、ある種のチャレンジを意味します。 そうやっていろんなことを自分に許していくと他者も許せるようになる。 そんなふうに私自身は思っています。 追記) この記事に対し、ご本人からメッセージをいただきました。 多少ずれているところもあったようですが、それも含めて良い気づきが得られたとのこと。 ここでの私の気づきは、“仮説を立てて投げてみる”ことの大切さです。 その仮説が当たっていれば、それはそれで良いし、もしずれていたとしても、そこから相手の方の思考が回り始めます。 「この違和感は、どこから来るんだろう?」 的に。 それからもう一点今回の記事を補足しておくと、私はよく“緩める”とか“許す”とかいう言葉を使いますが、それは“そうしなければならない”というものでは決してありません。 むしろそういう考え方そのものが窮屈ですよね。 どんな思考であろうが、今困っていないのであれば何もする必要はない…というのが私の考え方です。 -----------ストレングスファインダー®徹底活用ガイド
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