「伝えるということ」その4です。
伝えるということは、選択するということ
伝えるということは、選択するということ
誰しも、多かれ少なかれ、伝えたいのに伝えられないことがあります。
出来ないのに出来ないと、伝えられないときがあります。
やりたくないのにやりたくないと、 伝えられないときがあります。
止めて欲しいのに止めて欲しいと、 伝えられないときがあります。
相手がどう思うだろう、きちんと受け取ってもらえるだろうかと不安になり、伝えられないときがあります。
でも、伝えないという選択をしているのは、他でもない自分自身です。
伝えられないと言いながら、伝えていないのは自分自身です。
伝えるにしろ、伝えないにしろ、その結果は自分で引き受ければ良いこと。
自責であれば、伝える、伝えないは、自分で選ぶことができます。
伝えるということは、選択するということ。
結果を自分で引き受けさえすれば、時には敢えて伝えないという選択があってもいい。
そう考えると少し楽になりませんか?

「共感性」で相手の気持ちを慮ったり、「調和性」で対立を恐れる気持ちがあると、無意識に伝えないを選択してしまうことがあります。
他にも、いろんな資質からくる理由により無意識に伝えないを選択していることがあると思います。
正確に言えば、無意識である以上選択しているわけでもないのかもしれません。
選択するという感覚を得るためには、
常に伝えるという選択肢もあるのだということを自覚しておく必要があります。
そして、選択には必ず責任が伴うことを。
伝えないを選択したのではなく、伝えられない(伝えるの選択肢を持たない)の感覚だと、自分の行為に対する責任を負うという感覚が薄くなってしまいます。
つまりは、他責になりがちです。
要は「言わなくてもわかるでしょ!」「察してよ!」の状態ですね。
常に
伝える、伝えないの選択肢があることを知っていてどちらかを選んでいれば、そこには無条件に自分の責任で選んだという感覚が伴います。
つまり、他責にはなり得ません。
これって、伝えるという行為だけでなく様々な場面で同じことが言えますね。
様々な場面で
自分の言動を選択するという意識を持てれば、自然と自責で生きていくことにつながります。
そして、選択するという行為に必要なのは、選択肢を増やすということです。
つまり、今まで自分が選んでこなかったことを自分に許すということでもあります。
文責 ギャラップ社認定ストレングスコーチ 知識茂雄