まずは「最上志向」。
「最上志向」の基準の高さを緩める
その前に、私は良く「緩める」という言葉を使いますが、それは以下の理由によります。
私の場合、自分自身が自分の資質をある意味出し過ぎてしまっていて、自分とその投影での他者に対する要求が過度になってしまい、いろんな意味で苦しんできた感があります。
だから、自分や他者に対する過度な期待を緩めることが自分にとっては効果的だったのです。
私があまりに「緩める、緩める」と言い過ぎたためか、以前「なんでわざわざ緩めないといけないんですか?」と訊かれたことがあります。
当たり前のことですが、今何も困っていなければ緩めるとか、何も考える必要はないですよね。
さて、「最上志向」です。
「最上志向」が多少やっかいなのは、他の資質の特徴をも尖らせてしまう特徴を持っているからです。
例えば、「最上志向」x「責任感」の私であれば、「責任感」の“ちゃんときちんと”に磨きが掛かってしまうとか。
「最上志向」は質の高さを求める資質でもあるので、約束を果たすのは当たり前中の当たり前で、そこに、“ただ約束を果たすだけでは足りない”との感覚が加わるのです。
つまり、自分に求めるものがより高くなり、その分他者に対する要求も当然高くなります。
しんどいはずですよね。
その意味で「最上志向」を緩めるということは、他の資質も連動して相対的に緩んでいくので結構効果的だと思っています。
そして、ここで緩めるという意味は、質に対する基準を緩めるということを意味します。
「最上志向」の場合、ひとたび質を求め始めると際限がないので、自分にも他者にも厳しくあたってしまう人は緩める感覚を身につけると生きやすくなると思います。
繰り返しますが、どれだけ質の高さを求めてもそれがしんどくなければ緩める必要なんてないですからね。
自分の好きなことを好きなだけ極められているとしたら、むしろとっても幸せなことなので。
で、「最上志向」を緩めるということの具体的な意味は、わかりやすい例でいうと自分のアウトプットの質を下げるということです。
基準を下げるといっても感覚的なものなのでイメージしづらいかもしれません。
実際やるとしたら、例えばこういうことです。
「最上志向」持ちの人は、資料作成などにしても無意識でいると締め切りぎりぎりまでブラッシュアップしようとしてしまうことが多いです。
それを、自分なりの期限を決めてしまう、すなわち「ここまでは頑張るけど、そこから先はあきらめる」との期限を決めることで見切りをつけるようにするとかです。
でも、「そんなことしたら、むちゃくちゃ質が落ちるじゃないか」と思うかもしれませんね。
でも安心してください。
「最上志向」の質への基準はバカみたいに高すぎるので、少々下げたところでそれでも十分質高いアウトプットをしているのです。
そして、こうやって時間的なスペースが空くと、ひょっとしたらこんなふうに考えられるようになるかもしれません。
「とことん質を追求すべきものと、そうでないものとのメリハリをつけていこう」と。
ここでも必要なのは客観視ですね。
自分に求められているのは質の高さなのか、それともスピードなのか。
そういうところを状況を含めて俯瞰的に観て判断していけば良いと思います。