私がストレングスコーチとして価値を置いていること
今日は全然役に立つ内容ではなく、ストレングスコーチとして自分が価値を置いていることを書いてみたいと思います。 先日は、第5期のプロファイリング講座で個々の資質理解を深めていきました。 ストレングスコーチとして必要なのは、当たり前ですが、34個の資質一つひとつを、それがどんな思考、感情、行動のパターンを持っているのかをわかりやすく解説できること。 そして、それをベースにそれぞれの資質が複雑に組み合わさったときに、どんな思考、感情、行動のパターンになるのかの適切な仮説を立てられること。 この部分というのは資格を得たからと言って身についているものではなく、そこからどれだけのトレーニングを積み重ねてきたかが問われる部分です。 無限と言って良い組み合わせがある以上、そこに必要なのは圧倒的な“量”です。 ときにもだえ苦しみながら、 「こういう組み合わせの場合はどんな傾向になるだろう?」 と考え続けることをどれだけ積み重ねたかが問われます。 私にとってストレングスコーチでいることの“一面”は、ある種の“職人”でいることに近い感覚があります。 技術を磨き続け、極め続けることに価値を置いています。 昔は料理人になろうと半分本気で思っていたくらい、職人というものにあこがれもあります。 でも「今まさにそれをやってるよね…」と思いました(笑)。 ストレングス職人として(?)これからも精進します。 さて、先日の講座では6つの資質について理解を深めていきました。 受講者の皆さんも当然ながら様々な資質の並びを持っています。 ある資質を扱う際に、ある方にとっては上位であり、別の方にとっては下位であることが頻繁に起こります。 それは、それぞれに無意識に前提としていることが異なるということを意味しています。 たとえば先日の例で言えば、「包含」を持つ人が仲間外れを作らないという振る舞いを取りがちということに対し「相手が嫌いな人であっても仲間に引き入れるのか?」的な質問がありました。 こういう素直な質問こそが、資質の本質的な理解を促進することにつながります。 一方ここで大事なのは、「包含」を上位に持つ人と、そうでない人とで他人に対する感覚がそもそも異なるということを前提に置いて議論しなければならないということです。 人によって(どんな資質を上位に持っているかによって)、好き嫌いという感覚も、その度合いも違うはずだからです。 「包含」の場合であれば、他人に対する本質的な感覚は“人は皆同じように価値があり、重要な存在である”というものなので、恐らく好きとか嫌いとかの二分的な分け方をする感覚がそもそも薄いはずなのです。 ここが、そもそも「人に対する好き嫌いってあって当たり前」という感覚を持つ人との(良い悪いではなく)感覚の違いなのです。 本当の意味で資質を理解するためには、まず自分の物事の見え方が自分なりのフィルターを通したものになっていることを自覚する必要があります。 その上で相手の持つ感覚とはどういうものなのかを自分のフィルターを脇に置いて探求していくのです。 プロファイリングという行為は、一つひとつの資質の本質的な動機付けを感覚として理解していないとできないということ。 そして人という対象はとっても複雑なものなので、そうそう簡単に「こうだ」と理解できるものではないということ。 すなわち、どこまで行っても100%に到達することはあり得ないということ。 「最上志向」持ちの私は、だからこそそれを追い求め続けることに価値を置いているのです。 わからない人にはわからない感覚だと思いますが…(笑)
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